「挑戦」の対価はそこに立つことで得られる新しい視点である


と思うんですがどうでしょう。

・現状打破したいから「挑戦」する。なるほど、ときどき耳にする話です。
・今の仕事は本当にやりたいことじゃない。だから「挑戦」する。これも迷える中堅のシステムエンジニアが言うのを聞いたことがあります。


まぁ、みなさんいろいろお考えはあるし、やりたいことがあるなら幸せなので「どうぞどうそ」と背中を押して差し上げます。


ただですねぇ、「挑戦」を現状から回避するためのバズワードとして「使っているんじゃないかなー」と思うケースもあるんですね。残念ですが。


せっかくおやりになりたいことがあるなら、何らか挑戦した参加賞は手に入れたいものです。一番良いのは、「挑戦」によってスキルが身に付くことでしょう。だって、「挑戦」することで今まで持ち合わせていなかったことが「出来るようになったらいいな」と思ったわけでしょうから。


「挑戦」と言うくらいですから、そんなに甘くない場合の方が多いのですよね。それじゃ、「挑戦」の結果が試みただけでいいのか、っていう話です。


そんなことないですよね。いや、そういう人の方が多いのかも。そして、また現状に不満を言い、次の「挑戦」を探すのかしら。


一方、まったくもって「挑戦」しない人もおられる。

・「挑戦」してもコストが掛かり割に合わない。
・「挑戦」なんて面倒なことするより現状維持でいい。


そもそも、「挑戦」もしない人の方が多いのでは。だって、「挑戦」するためにはコストが掛かりますからね。「挑戦」するためには、「時間」と「お金」と「気持ち」の3つのリソースをコストとして使いますから。この3つのリソースが用意できないとなにも変化が起きないわけです。1ミリとも動かない。


たぶんですが、「挑戦」しようとする自分に「期待を掛け過ぎる」か「できないとあきらめている」のではないかと。現状維持なんて特にそうですよね。


でも、飽きますよ。現状維持は。だって、自分がびっくりするような、想定していないインプットが枯渇するんですから。まったくもって何も流入しないんです。それじゃ、自分の中が澱みますよね。流れ出せるアウトプットも減っていきます。


何かをするときに、ひとは期待しすぎなんですね。ましてや自分のことになると「俺は出来るんだぜぇ」なんて勝手に自分のスキルにバイアスを掛けて見通しを上方修正かけまくる。そして、結果がついてこない。


そうじゃなくて、自分に諦めるのでも、期待しすぎるのでもなく、自分の分を知りつつも「ちょっとやってみる」とか「やってみたら何か変わるかも」というちょっとした「変化の気づき」を得る行為を「挑戦」としたらいいのかと。そんな風に思うんです。


「変化の気づき」とは「新しい視点」を持つということです。それは「挑戦」しなければ得られない報酬なのです。それだけでも十分、「挑戦」に対するコストを支払う意味はあると思うのです。