制約は自分を縛るものではなくひらめきを呼ぶ味方に変えられる
今朝、「(お、この設定いいかも!)」と閃いたんですが、もうちょっとイメージアップして企画に持ち込もうと思って忘れるとつぎいつ思いつくかわからないのでevernoteに_φ(・_・したわけです。はい。
この一連の中でワタシの8ビットの灰色の脳細胞の中で起きたことはこうです。
(以前に)企画のアイデアを出した
↓
(以前に)企画サイドから制約をつけられていた
↓
アイデアどうしようかなとぼんやりと頭の隅で思い出した
↓
制約と身の回りのことと関心のあることが続けて頭の中でひらめいた
↓
あれ、これ企画サイドの制約はクリアしてるじゃん
この一連の流れを自分で振り返ってみて、改めて思うこと。
・断続的でもいいから、どうしようかなと考えていないとアイデアにならない
・ひらめきは自分の中で持っているものと認識できるものを繋ぐこと
ひらめきは、無から生まれないんですよね、ワタシの場合は。
過去のプロジェクトでグループの全員が「どうしよう」と頭を抱えていたときにワタシのひらめきが窮地を救ったことがあったのを思い出しました。このときも後出しの制約があってそれがみんなに頭を抱えさせていたんですが、それを整理したというか、正しい現状を認識しなおしたら、瓢箪から駒みたいな感じで問題ないことに気づいて説明したらみんながぽかんとした顔をして。
もちろん、頭を抱えた問題は全く影響がなかったわけじゃなくて、手間が「そのときだけ2倍に増える」という策でしたがそれでも現状を変えなくていいことが受け入れられたんです。
ずいぶん前のことだし、詳しくは書けないしともどかしいですが、仕組みを理解していることと、制約を制約としてただ受容するか制約を味方にするかで対応が全く変わるものだな、と思ったものです。
はじめのひらめきもその制約を味方につけられた、と言えばそうなんですよね。外から来るものはそのまま受け入れるな、ということですね。