内製化またはサービス化としての食事の諸問題もしくは厚労省の意図

厚生労働省は「所得が低い人は栄養バランスのよい食事をとる余裕がなくなっているのではないか。食事の内容を見直すなど健康への関心を高めてほしい」と話しています。
所得低いほど栄養バランスよい食事取れず

この記事から食事についてプロマネの観点で気がつくことをいくつか書いてみようと思います。TLやはてぶのコメントでは大喜利のように色々言われていますがそれはそれとして。



内製とサービスとしての食事
食事は、自分もしくは生計を共にする家族が材料の調達、調理、配膳、片付けまでを賄う内製と中食や外食など自分や家族以外が調理済みの出来合いの食事を購買するサービスとしての食事に分けられる。


まぁ、普通ですね。違いは内製の食事では、調達、調理に関する技術習得が必要であること、調理に必要な設備を初期費用として用立てる必要があること、食事に合わせた材料や調味料の調達計画が必要であることです。


一方、サービスとしての食事は、調達、調理、配膳、片付けはサービス提供価格に応じてひとまとめでサービスプロバイダ側で対応してくれる、という特徴がありますね。


内製化を拒む初期費用の問題
内製としての食事は、材料の調達、調理、配膳、片付けのプロセスを踏んで初めて食事にありつけるわけですが、摂る食事により調理のための設備が必要になる。これは、内製化を進めようと思っても食べたい食事によっては設備を新たに揃えられないと実現できないことを意味している。


特殊な設備を除外し一般的な和食を想定しても、炊飯器、鍋、包丁、まな板、食器などなど思いつくだけを並べようとするときりがない。


内製化を拒む時間の問題
食事をサービスとして調達することに慣れてしまうと、時間に対する価値が変わる。サービスでは食事を提供するサービスプロバイダの所在まで出向くか出前で呼び寄せられるので材料の調達から片付けにかかる食事にかかる時間が変わる。


ある意味、時間を一緒にサービスとして買っているのである。


内製化を拒む調理技術の問題
内製としての食事をするためには、食べたい食事に必要な調理の技術を習得する必要がある。レシピ本を読んだだけではそのレシピ本に書かれている味を再現することは保証されない。また、好みの味であるかの検証もできない。


実地にて習得と検証をするほかない。そのためには、食べたい食事に関する情報収集力も問われる。担々麺を食べたいならレシピと材料とそれに必要な設備を揃えるための情報収集をできる基礎スキルが求められる。


内製化を拒むコストの問題
初期費用の問題で設備に関する問題を取り上げたが、材料でも同じである。前準備として加工されてる材料を購買するか、素材としての一次生産物を織り交ぜるかによりコストが変わる。もちろん、一次生産物の比が多いほどコストは下がる。


ただ、それに反比例して一次生産物を加工する手間が必要となる。食事にかける費用と時間の損益分岐点を求めなければならない。


サービス化としての食事の需給問題
食事をサービスかする場合、食べたいものを食べられるサービスプロバイダの情報を知る必要がある。店までの距離、移動にかかる費用、食事の費用などを含めどのサービスプロバイダを選択するか検討する必要がある。


ただ、それは選択できる場合に限る。競合するサービスプロバイダがなければ選択肢としては成立しないからだ。


サービス化としての食事のコストの問題
食事をサービスとして購買するため、食事=費用である。であるから、食事のコストはサービスプロバイダ側の価格設定に委ねられてしまう。それはサービスプロバイダ側の競争がなければ言い値でしか購入できないということである。


いくら購買側でコスト削減したくても一切できないことを意味している。


サービス化としての食事の健康に関する配慮の問題
食事を内製化できるのあれば、食事の材料として取り入れるものを自分の価値観で取捨選択できるが、サービス化する場合、自分の価値観ではコントロールできない。開示される範囲で信用するほかない。


厚労省の意図
厚労省は、明確に食事を内製化するとこで健康な体調を維持し、医療費を削減に取り組めと言っていると思ってよい。


ただ、厚労省のいうところの所得の高い世帯の人は健康にかけるコストが病気になったときにかける医療費より安く済むと知っているので自然と食事をコントロールできる内製化率が高い傾向になるのは当然である。