システムエンジニアが胃を痛くしてしまうのはメンタルが弱いからではないんだよ
時々あるのが、なんでそのテーマでワタシが指摘されているんだろうなぁ、という場面に遭遇したケース。自責だったりメンバのポカだったりすれば、全部、ワタシが謝りまーすと思うんですがねぇ。まぁ、そうならないように布石を打ちながら、リスクを早く検知できるように進捗のインターバルを現場の負担にならないように工夫しながらモニタリングしているわけで。
それでもリスクがコントロールできないときもあって、そういうケースを後からトレースしてみると会議のときのあの言葉に気づいていたのにやり過ごしてしまったとか、これ伏線回収できていなかっただけなんだ、とかとか自分自身で勿体無いことしたなぁと思いつつも次は繰り返さないようにしようリストに放り投げておくんですね。
鈍感なのかどうか未だ判別できないのですが、そうしたトラブルが起きたとしても胃が痛いとかひどく落ち込むなんてことはないんですよね。
胃が痛くならない一つの要因に、経験から習得して身についた性質なんだろうなぁと思うわけです。何か想定外のことが起きた。なら、課題管理に上げておけばいいし、課題としたら後は解決のゴールを決めて課題を少しずつでも解決していけばいいんだよね、と思っているというのがあるかな、と。
そんな課題解決のアプローチは誰でも身につけれられることで、身につけられるからこそどこのプロジェクトでも課題管理はされているんですよね。課題管理をやっていないプロジェクトなんて聞いたことがないし。
課題管理のような手段という観点でみれば、ツールを知って使えるのであればそれで胃が痛くなることはない、ということなのだと思うわけです。
別の見方で、胃が痛くなるようなメンタルに作用するものの1つに体力があると思うんですよね。体力、運動すること。これはどっちかと言えば、痛くならないように利く方で。
体力はないよりあった方がいい。そのくらいなんだけれど体力を維持する、向上するために確保する時間のなかで思考の整理ができるから、その時間の使い方という面でメンタルに効果があるんだと思うのです。
それともう一つ、体力を維持する、向上するためには繰り返すルーティンが習慣として生活リズムに組み込まれるものです。週末に運動をする。これは週末になんらかの運動をするという意味でしかありませんが習慣化は経験から習得して身につける性質のパターンを表している一つのシンボルなのではないかと思うわけです。
これらの2つは、経験から習得して身につける性質とその性質を組み込むためのしくみなんですね。で、もう一つ、価値判断の基準があってこれが生まれ持った性質。
胃が痛くならないようにしたいなら、この、自分が生まれ持った性質をよく知ることが胃を痛くしないための第一歩だと思うんですよ。この生まれたときか持っているようなものは変えられないですから。
変えられないからこそ、その性質を知らないと自分自身のことでありがながら自分を傷つけてしまったりするわけで。自分で自分を傷つけているのは無意識に判断をしている基準を客観的に認識していないから。
逆に言えば、自分の思考方法を、思考ルールを、判断基準を、閾値を知ってさえいれば、判断するシチュエーションになったとき自分をコントロールすることができるわけです。
この考えには瞑想をやれば胃が痛くならないようになれるとか、激しい運動で追い込めば精神が強くできるというのはないんです。
胃が痛くならないようにするためには、自分の生まれ持った性質を認識できるようになること、経験から身につける性質を増やすこと。増やすために習慣化するしくみを持つこと、なんだと思うんです。