意識低い系エンジニアこそ価値の居場所を作る

カンファレンスや勉強会に参加しているようなエンジニアを十把一絡げに『意識の高い系エンジニア』だよと聞いたときは、そういったように見えるのかと思ったことがあったが、『お前もな』と言われたときは『はっ、何いっているの』と思ったのは事実だ。意識の高い系のエンジニアは、こう、もっとパリピーぽくawsうぇーいとかazureわーい的な感じだと思っていたのだが、どうやら違う切り口でこられて面喰らった。

それはさておき、生存戦略には居場所を選ぶことが必要だ。居場所なので、移動可能だから、居る場所を変えることは差し支えないし、自分の自由意志で判断して構わない。

この居場所は物理でもあり、概念的なものでもある。

多くのエンジニアは、ご自身がお持ちの実践知や知見に対する価値を低く評価している。であるから、お持ちの価値を外にひけらかすようなことには消極的である。

自分の見解を申し上げれば、皆さんの知見や実践知はいくら頑張っても自分にはできない、得られないものだから、自分にとって有用であったり、気づきを与えてくれるだってきっとある。そう思っていなければ、外にいってエンジニアの話を聞いたりしない。

自分に必要だと思った課題解決の手法を知るために、それなりの情報を必要だろうと考え、カンファレンスやいくつかの勉強会に赴くのはそこに有期限性の物理的な居場所があるからである。そうした場で自分の仕事での課題解決に必要な何かが1つでも得られればその場に出向いた価値がある。

そうした機会を分けていただけるのもエンジニアなのである。

もちろん、解題はそのうち解消する(だろう)し、課題1つ解消すれば次の課題が出てくるのが課題の性質である。そうすると、同じ場所でい続けても課題のスイートスポットからずれていく。自分から動いて、スイートスポットに当てるようにしなければならない。

そのうち、そうした活動を通してそうした活動のスペースを気持ちの中で持てるようになる。ここで、自分の持っている価値を流し込み、価値を育てる。