プラクティスを移転しても全く心配がない理由
大分前から機会があれば何処と構わずにスライドを持って講演に出かける。奇特な方も居られて、話を聴いていただける。
スライドで取り上げるのは専門のプロジェクトマネジメントやエンジニアの育成などが多い。業務的な話は色々と面倒なので一切せずに話すテーマを割と持っている知見を発表する時間との兼ね合いもあるが、出せる場合は全部出してしまう。
組織の内外を含め、そうした講演をする前は自分の持っている知見を出すことに不安があった。ノウハウを取られたら優位性がなくなってしまうのではないか、誰かに真似されたりするのではないか。
結局は無駄な杞憂でしかなかった。
そういった機会から実践的な講座を開くようになると、その杞憂の理由がわかってきた。
技術や手法を身に付けたいと思って受講するエンジニアは道具としてのhowtoを知りたいのであって、どうしてそれを身に付けた方が良いとか、知見の見つけ方とか、アプローチとかに興味を示さないことが多い。
言い換えれば、ノウハウは必要なくてhowtoだけわかればいいということのようだ。
引用しているまとめでノウハウが技能を盗むのは難しいと書いているが、難しいというよりノウハウに関心を持っていないのではないかと思う。道具を道具として使えればいい、と。
多分、経験したことを経験だけで自分に蓄えているだけで、自分の経験を伝わる手段、言葉や図式に再変換して形式知にすることをしてないのだろう。だから、経験知以上の知見に育たないのだろう。
ときどき、アプローチや考え方まで尋ねてくれる人がいる。こうした機会でもノウハウの流出などは全く心配せず、それよりは一番聴いて欲しかったところを聴いてくれるエンジニアがいたことに嬉しくなってしまう。
仮にそうした質問をしてきたエンジニアが将来自分のノウハウを使って自分を抜いたとしても、それは自分のノウハウが移転できてよかったと思うし、そういったケースでは逆に学ぶ気づきを得られることが多いので自分が滞留する心配がなくなるのでそれはそれで歓迎するのだ。
自分もプラクティスを出したままいつまでもそこにいるわけじゃない。遅くても進んでいるのでまた新しい知見を見出すだけである。