勝ち目のない仕事をしないためにはcontrollableな仕事を「普通」にするしかないです


今日書き残すこと。

  • 仕事が成功するかどうかは、controllable か uncontrollableかどうか
  • controllable かどうかは、主導権を握るか手放すか
  • ステークホルダーの分担でも 主導権を握ることで controllable にすることができる


仕事が成功するかどうかは、controllable か uncontrollableかどうか
オトモダチが「仕事をするなら勝算があるかどうか見立て、勝てる戦いをするのが基本だよね」とタイムラインに投げてきたんですよ。


そりゃそうだ、と思って次を読んだら、どうやら本当に言いたかったことは違うようで「勝ち目のない戦いとか、無理をして勝とうとすることはしたくないんだよ…」となんかリアルで辛そうな行間のあることをつぶやいているのをみてちょっと闇を感じたんですね。


泣きが入っている、と。


さらに「普通な仕事をしたい」「普通のプロジェクトをしたい」と。


ワタシの経験から言えば、その仕事が受託だろうが、ゼネコンだろうが、全てにおいて仕事、プロジェクトを controllable (=コントローラブル)な状態であるかどうかが仕事が成功する、オトモダチの言葉なら「勝てる戦い」になるかどうかの全てだと思うわけです。


controllable な状態にする、とは自分の頭でプロジェクトのシナリオを組んで、そのプロジェクトに組み込む全てのリソースをシナリオの上で動かす、と表現することもできます。


であれば、プロジェクトの案件を獲得する前から絡んでいないと見立てができないかといえば、そうでもないわけで。当事者になったときに、いかにシナリオを描いてシナリオを組み立てるかが鍵なのですけど。


controllable かどうかは、主導権を握るか手放すか
controllable なプロジェクトになるかどうかは、当事者で続けられるかどうかです。当事者とは、そのプロジェクト、仕事の主体者でい続ける覚悟をするかどうか。


勝てると見立てても、プロジェクトの仕事の主導権をステークホルダーに渡してしまっては、どれだけ素晴らしいシナリオを描いていたとしても思うようには進まなくなるのは仕事が自分ではない他人の頭の中で考えているように進んでしまうから。


自分で描いたシナリオも、他人の頭の中で考えている中に入って自分の考えを押し付けられないのは当然のことなんだよね。だって、人格が違うんだから。


だから、自分の頭で描いたように進めたいなら、自分でその仕事をcontrollable にしないといけない。で、controllable にしたいなら仕事の主導権は握っておかなければいけなくなるのは当然なわけで。


ステークホルダーの分担でも 主導権を握ることで controllable にすることができる
仕事は分担するのに他人の仕事まで controllable にできるのか。


答えは、「できます」です。


たとえば、エンドユーザの立場のプロジェクトはそのプロジェクトの全てをマネジメントしなければならないわけです。ベンダを使うとして、ベンダになんでも押し付けてプロジェクトを動かすこともできるでしょう。


確かにできるでしょうし、そうさせるように契約するのでしょう。


でも、それってcontrollable なのでしょうか。


契約で縛っておいて、でも主体的に協力してプロジェクトをキャリーする方が健全だし、それがオトモダチのいう「普通」の仕事なのではないでしょうか。


「普通」にプロジェクトをするためには、

  • オーナーとしてのプロジェクトの最終目的
  • プロジェクトのシナリオ
  • 理想の進め方
  • プロジェクトの想定するリスク
  • 共有するToDo
  • それらを確実にするために今日何をアウトプットするか


を「普通」にすればいいのです。


その「普通」を手に入れるためには、プロジェクトをcontrollable に常時しておく必要があるのです。「普通」は願って手に入れるものではなくて、普通なことを日々しなければならないのですけど。