エンジニア、勉強=投資と気づかずセルフ・プロダクトマネジメント失敗する

例えばこうして毎日ブログを書いている(何度か書きためようと思ったこともあるけれど結局面倒で毎日書くことを選択してしまう)と書けないときが度々やってくるのですね。そうしたとき、必ず思うことは

「書くんだよ」

なんです。進める。1つ文章を書く。悶々と考えあぐねていても1文字も埋まらないのです。だから文字で埋めるのです。得てしてそうしたときのエントリの方が受けたりするのがとても不思議。割とワタシ自身が消化不良だったりしてもかえってそれが引っかかるのかどうかは読み手ではなのでわからないけれど。

とにかく書く。1行書き出すというのは池波正太郎のエッセイで何度も出てくるのです。それだけ時代小説以外のエッセイも読んでいたということなのでしょうけれど。

勉強はプロダクトマネジメント

某所のTLに最近賑わっているエンジニアは時間外に勉強すべきか的なエントリに対してポロっと呟いた人がいたのですよ。

「ふーん、そうかもね。でも勉強ってなんだ(要約)」

ワタシも過去のエントリで割とエンジニアの時間外の技術習得を「勉強」という言葉を選んで使うことが多いです。

その一方、別の言葉を使うケースもあります。それは「投資」です。ワタシがエンジニアが時間外に技術習得(技術習得にはプログラミング言語習得や技術適用もありますが基礎的スキルの習得も含みます)ということを言及する場合、リソースの観点から投資という言葉の方が好ましいと思うのです。

 ただ、投資という言葉を使うと金融のイメージ、株や不動産などが連想されやすいとワタシ自身が感じるので勉強を選んでいます。

でも、やっぱり投資なんですよ。エンジニアの時間外技術習得は。それと、自分への技術習得の投資するということは、自分というセルフ・プロダクトのマネジメントなんですよ。

投資としてのプロダクトマネジメント

トンデモであっても自分の将来像を持っているエンジニアは少ない(3桁くらいのエンジニアを母集団とした場合の感覚で)ので、投資という言葉もあえて使わないのですけどもしかしたら投資を使った方が良いのかもしれないと今、書きながら思うようになったのですけれど。

投資は原資を元に、目指すビジョン、エンジニアの場合は将来像やビジネス的成功などに対して手元のリソースを分配して投下した原資を増やしリターンを得ることを言います。

例をあげれば、貯金(預金でもいいよ)を持ち出して、プロジェクトマネージャを目指すからPMPの認定を受けるための講習に行ったり、書籍を買ったりして知識を得て、てすとをCBTで受けて合格して、プロマネの仕事に進み、サラリーアップしたり役職をキャリアアップしたり、的な実現したいリターンをゲットする活動です。

この例で投下されている原資は次のものがあります。

・お金
・時間

まあ、そうですね、という感じですよね。やっぱり、技術習得の投資はセルフ・プロダクトマネジメントですねぇ。

勉強は手段でしかない

是非を議論されている勉強はツールやテクニックなんですよね。キャリアアップする手段なんです。IPOにすればわかり易いですね。

 

目的:キャリアアップ

インプットーーーーーーーープロセスーーーーーーーーアウトプット

お金・時間        勉強・実践       キャリアアップ

それでエンジニアの技術習得がなぜ投資かというと、キャリアアップは約束されていないから。不確実だからです。

選択した技術を身につけたとしても習得して実践するタイミングで需要があるかどうかは別な話です。不確実なケースでは、エンジニア自身が投資をしてもそれを実践するのもエンジニア自身で、実現するか途中で放り投げてしまうかも不確実です。

だから、投資なんです。リターンが約束されていない。

エンジニアに限らず、自分の身銭を切らなければならないとき、それも不確実性があるときにはやらないんですよ。そういう選択をするのです。多くの人は。

目の前の少額を得る方を選ぶのです。投資をしてキャリアアップして多い収入を選択する人が少ないのはゲーム理論で言われていることです。

 

このエントリでは、投資主体はエンジニア自身としています。ただ、本来は、エンジニア自身と組織の2つの投資主体があることを理解しておかなければなりません。

 

 

マンガでやさしくわかるゲーム理論

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入門 ゲーム理論と情報の経済学

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