エンジニアの障害になる上司

エンジニアの組織でも(部下付きの)課長職になって数年経てば自分がどこまでいけそうか察しがつくはずだ。何を察するかというと、これからの自分がどこまで昇進できるかというキャリアである。

もちろん、課長職であるからビジネス的に数字を積み上げていかなければ、事業を担う役職として評価されない。ただ、いくら数字を作ってもびっくりする程でなければ評価は相対評価であるから、頭を抜きん出ることは難しい。

実は物理的な問題の方が大きい。

いくら評価が高くても上の席が空いていなければ上がれないのである。

さらに言えば、誰をどのタイミングで上げるかは、属する部門長が筋書きを書いているからいくら上がりたいと言っても、よっぽどのことか立て直し的な配置でなければ実現しない。

成果の評価や空席情報を話すより、深刻なのはヒラエルキを上がれば組織内であるからこそかもしれないが、人材の流動性がとても低い。いや、5年、10年と顔ぶれが変わらない組織だってある。流動していても、ただ同じ顔ぶれの面々がぐるぐる回っているだけだ。

所属する組織の部長職、本部長職、役員を思い出せばわかることだ。

それより、エンジニアが課長職になったとき、それからをどうするかキャリアを一兵卒のエンジニアであったときより真面目に考えた方が良い。

なぜなら、現場から離れてはじめると一つの不安が一気に生じる。それは技術から遠ざかってしまうからである。プロマネから課長職へキャリアパスが変わるならそれほど違和感はないだろうが、SEリーダなどのバリバリの技術職から課長職というマネジメントにジョブチェンジすると技術から離れる不安は大きいと声を聞く。

ここで今の職でどうするかを早々に腹を括って決めないと危ない。最悪、技術で生きると決めて戻ろうとしても戻る場所がない。

今の時代、エンジニアの流動性の高まりが言われているが、本当に流動しなければならないのは課長職あたりのゾーンだと思っている。そのゾーンの新陳代謝が高まらなければ、現場のエンジニアはその組織内で先が見えないからだ。

上の席が空かず、固着化した組織で滞留する課長職がどれだけ価値を持っているかは疑わしい。

本来、部下の仕事上の障害を取り除くのが課長職の仕事のはずが、その課長職自身が障害になりかねないのだから。