エンジニアが技術書を読む裏事情

今月だったか、どこかの会合の場所、多分に会合を開くリクエストを投げて集まってもらったときのちょっとした雑談の中で本をどう言ったシチュエーションで読むかという話題が唐突に投げ込まれたんです。

書き物というと大袈裟だけれど、講演用のスライドやLT用のスライド、読み物としての書き物をというところまで書き掛けて、年明けに締め切りがあったことをすっかり忘れていて「あー思い出した…」と思いながら、話を元に戻して(多分、これをポストした後に忘れてしまい締め切りで焦るのだろうけど)、そういった目に見える体裁にする際に、参考文献、つまり、言語として主張しようとすることの裏付けをするために適当な書籍がなければ手に入れつつ、目次から必要そうなコンテンツを引っ張り出してきて、自分の脳内に経験知として内在する言語化されていない論拠と紐付け、補強するパターンが多くなってきたな、とまで脳内で質問に対する反応を得つつ、そう言った主旨のことを掻い摘んで打ち返したのですが。

言語化するという行為は今、自分の中ではそんなプロセスを経ることで不足しがちな形式知を充足するようなパターンが多いと感じるのは書き物や企画の締め切り駆動型で自分を追い込む形で動かしているかもしれないと。

漠と関心を持って読むような本は割と電車の中で読むことが多くて、でも通勤の復路に限るのでそれはそれでもう少し確保したいという思いが別の欲求となって現れているのかもしれない。

何れにしても、これからも本を読むことはするだろうけれど何をいつ買ったかをリアルな書店で買っていると履歴が調べられなくてイマイチなんだよねぇと思いつつ、実際にWebサイトで履歴が確認できるか(多分できないのだろうと思いつつ)確認したらできなかったのは残念。リアル書店iOSアプリを提供してヘビーユーザを囲い込んで欲しいと思う。

 

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