滞留するエンジニアは隣の芝の青さに憧れ続ける

一つの技術をやり続けることは担当する技術の幅を広げ、深め続けているならプロフェッショナルとしての位置を確保できるかもしれません。ただ、現実には技術の展開や深掘りをしているエンジニアは稀です。プロフェッショナルと呼ばれるエンジニアが希少な現実を目の当たりにする限り、そういった見方はあながち間違いではないのかもしれません。

プロフェショナルなエンジニアが技術の横転、深掘りをしているときに、同じエンジニアでありがなら価値観の違いからか与えられた仕事、与えられた役割で滞留するエンジニアも存在します。プロフェショナルなエンジニアは興味か何かに動かされまるで鮪のように常態的に技術の海を泳ぐことを続けますが、滞留するエンジニアはその1点に留まり続けているのです。

「隣の芝は青い」という慣用句がありますが、隣の技術をやりたいというエンジニアをときどき見かけます。隣の技術をやりたいというのならまだ良い方かもしれません。自分やってみたら、と言えるので。ひどいなと思うケースは、やれどこのチームが表彰された、他社はこんなことをやっている…おいおい、子どもと仕事をしているのかと疑いたくなったこともありました。

こうした隣の芝は青い的なことを口に出すようなエンジニアに「じゃあやってごらん、サポートするから」といったところで何かしら一歩を踏み出したケースはないのですが。

30年前ではないのですからコンピュータリソースも技術公開も進んでいる今なら本当にやりたいのであれば、業務をやりくりして青く見える芝が本当に青いか片鱗でも覗きこむことができる時代です。実際に隣の芝で活躍しているエンジニアが勉強会やカンファレンスで事例などをオープンにしているのですから、その青く見えている世界の縁にタッチすることもできるのです。

外野からみていた色と中から見た色が違うことはよくあることです。というか、仕事の大半は泥臭い、地味で、ちまちました作業の積み上げです。それはそうでしょう。アウトプットを作るために作業を机上で分解して、その分解した作業をつみあげ、繋げ合わせてアウトプットに構成するのですから。

実際、隣の芝が青く見えるかどうかは踏み込んで見なければわかりません。逆に、隣の芝の中から見ればこちらの芝の方が青く見えているかもしれません。これは立っている芝の領域の中の常識だけで外界の芝を眺めているといくらでも青く見えるということです。

つまり、自分で隣の芝が青く見えるようにバイアスをかけている、ということなんですよ。

じゃあ、本当に隣の芝が青いのかどうか、エンジニアとしてはより興味を引き、自己の学習欲を満たす仕事をしたいと思うのならば、担当する業務は業務として片付けておくとして、業務外の技術である隣の芝に関わりを作ることが結果的に今のポジションを見つめ直す良いきっかけになるのではないかと思うのです。

さて、あなたは隣の芝が青いといつまで羨んでいるのですか。

 

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