文系で30年エンジニア業をやっていて、やりたい仕事を見つけるまでに10年掛かった話
新しい仕事ではご活躍されているのだろか。であれば、プログラマを辞めた判断は少なくとも間違っていなかったのだろう。
世の中にはたくさんの仕事があるし、ITの会社の中にもプログラマ以外の仕事もたくさんある。自分に合う仕事かどうかは、実際やってみないと適性を持っているかどうかがわからない。石の上にも3年で無理をして覚えても無理を感じるならピボットして次を挑戦してみたほうがよいと思う。
そんな自分も文系でSE、つまりシステムエンジニアになったクチである。エンジニア歴=平成のようなものだ。なんだかんだ30年くらいエンジニア業をやってきた。今はマネージャ業をやっていることはこれまでのエントリで書いてきたからエンジニア業も順風満帆だったんだろうと思うかもしれないが実はそんなことはない。
10年くらいはとてもシンドかった。あまりにシンドくて自分的には激ヤセして薬指から結婚指輪がスポスポと抜けてしまうまでになったこともある。
文系なのになぜか初めてのお仕事は制御システムのプログラムを書くことになった。PCを持っていなかったので、日がな一日PCの前に座り、PC98からUNIXのホストで意味も理解できずにプログラムを弄っては先輩エンジニアに付きっ切りで直された。
実質、先輩エンジニアに書いてもらったようなプログラムをコンパイルしてバイナリをROMに焼いてテストをするのだが、テストの知識がない。見様見真似でそれっぽい事をしていたが単にフローチャートをなぞっていただけだ。
開発用のレンタルPCを返す期限になってもバグが直らず当日の朝に話して困らせたこともある。この時期もシンドくて胃酸が上がって辛かった。
先輩同士で自分の進捗が問題になっていたこともあったらしい。優しい先輩がフォローしてくれていたらしいが付きっ切りの先輩は『やらせろ』と言っていたらしい。
少し経った頃、組織再編があり他部門と合流することになった。その部門は飛ぶ鳥を落とす勢いだったこともあり、飲み込まれる自分達にこっちの仕事をやろうよ、と誘ってきた。
自分の技量を知らないのに迂闊に隣の芝は青く見えたのだろう。やってみたら全く素質がない事を知らされた。いくつかの仕事をして他部署で人が足らず、おじさんエンジニアと一緒に社内レンタルされた。戦力外だったのだろう。
その先でたまたまプロマネだった課長とウマがあった。下手なりに仕事をした。コードは相変わらずひどかった。今でいうUI/UXの知識なんてろくにない。先行していたサブシステムを手本に真似て進めた。
顧客の評価は自分で考えて採用しない方を選んだ。もちろん、顧客の評価はそういう事だ。ただ、この顧客も優しい顧客で直接は言わないがこっそりと教えてくれる人もいた。
あるとき、プロマネである課長がこんな話をしてくれた。
エンジニアの道は選べる事を教えてくれた。ちょうどPMBOKの第1版が出たくらいだった。B5版の誤訳の多い、今で言うならちょっと厚めの薄い本だ。
とにかく、エンジニアで違う道がある事を知ったときだった。
そのあと、いくつかのプロジェクトの火消しやら何やらをやって、異動になった。そこでのプロジェクトで激ヤセして指輪が抜けて仕方がなかった。
どうにか生き延びて、次のプロジェクトでエンジニアの進路を真面目に考えた。プロマネを示唆されてから数年経っていた。
そのプロジェクトでは自分の居場所を作れた。仕事をしながら担当する業務でプロジェクトマネジメントの知識を得られた。そう言う仕事だった。
やっと自分の進む道を探し当てたのだろう。
システムエンジニア業を始めて10年くらい経っていた。
プロマネの道を教えてくれた当時の課長には頭が上がらないし、感謝は言い尽くせない。その課長のようなマネージャに近づけるといいのだが。

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