部下を無能ということに躊躇わないマネージャは無能である

情報収集と言うソーシャルを徘徊といってもはてブtwitterfacebook程度をチラチラと眺めているだけで、そんなことに時間を使うなら本の1冊でも読んだほうがいいのはわかっているけれど、ちょっと本を読むまでの気力がないというか。これも立派な言い訳なのだが。

ソーシャルを眺めているのは何か気づきが得られるというかインスピレーションが湧くキーワードを探しているのだ。それはわかっている。だったら積ん読の山を崩したほうがいい。それもわかっている。ただ、本を読むのは電車の中でが一番好きだ。これもまた立派な言い訳である。

無能を.する意味

昨日だったか、目についた記事は無能へペナルティを課しても組織から一掃されない的な話で、流しながら読めば、目新しいことは何一つない。パレートの法則やらドラッカーが引用されている。

 

blog.tinect.jp

 

記事の中では無能をクビにすることが極論として出ていたが、海外では一定の割合をクビにする。例えば評価の下位10%を決めて、入れ替える。そう、入れ替える。気づく人は気付くだろうけど、このシステムは循環する。下の評価層を評価ごとに作り出すシステムなのだ。

よくできている点は、貢献しない=事業にフィットしない技術を持っている社員は自然と他社に流動する機会を作るということだ。フィットしない技術で、低評価でいれば社員にも会社にもいいことは何一つないのだから。

悪い点は、事業を観察していないと自分がいつその下位層になるか安心して働けないということくらいか。

マネージャは有能なのか

その記事とは別にこんな記事があった。

 

www.businessinsider.jp

 

これを見て思ったのは、新しい価値を産む産まないは誰が評価しているのかということだ。

マネージャに決まっているじゃないか、と。そうなんだ。マネージャが評価している。キミは50歳にもなって新しい価値を産まないな、というわけだ。

ところで、マネージャの役割は何だろう。あれこれとマイクロマネジメントをすることか。それとも、マネージャが思うように仕事をしない部下を叱咤することか。

そんなマネージャをマネージャとはドラッカーは呼ばないだろう。

部下の特性を知り、何をしたいかを知り、組織として割り当てられたリソースを組織へ貢献させるために最大限活躍できる場を作り、仕事にアサイメントすることがマネージャだ。

マイクロマネジメントをしたがるマネージャに新しい価値を見極められるだろうか。それはありえない。なぜなら、そのマネージャが持っている古い価値観で行動様式を決めつけ、強制してくるからだ。

先の記事にもあるように無能を産むのは組織であるという言い分は確かにそのとおりだ。なぜなら、そのマネージャをアサイメントしているのは組織の意思決定なのだから。

なので、部下を無能ということに躊躇わないマネージャがいる組織は社員に貢献させるという点において無能なのだ。

有能なマネージャは、社員が最大限に貢献することを考えている。それだけである。

 

 

エンジニアリング組織論への招待 ~不確実性に向き合う思考と組織のリファクタリング

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