課題解決のアプローチを短時間で補強する

一緒に働いている人は優秀な人ばかりでとても敵わないのである。とにかく、常時笑顔で接してくる。もちろん、頭脳明晰で絵の付けどころの違いの差異が有り過ぎる。

そうした方々と仕事をしていると埋没しそうで落ち込むかと思えばそんなこともない。優秀ではないし明晰でもないが、彼らが得意でない専門を持っているので補完関係を構築できている(と一方的に思っている)。

 そうした彼らの思考ロジックを『イシューからはじめよ』を読んだとき『!』と『?』を思ったのである。

 

イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」

イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」

 

 

 『!』

彼らは企画する際に、とにかく

  • 情報を集めたか
  • その情報は必要十分か

を繰り返し尋ねてくる。尋ねてくるということは(彼らはこちらを資料のドラフトを見た上で)彼ら的には集めている情報が足らないのではないかと思っているのである。

あともう1つあって、情報を収集する時間を掛け過ぎているのではないかとも言われる。

自分としては自分でロジックを組み立て、進め方のざっくり感はすり合わせた上で進めているので『十分だ』と思って進めている。だから、『どこが足らないのか』と思って進めている(往往にしてあとで少し足らないと気づくこともある)。掛ける時間についてはままそうした傾向があるかもしれないが、スピード感の個人差ではないかと思っている。

『イシューからはじめよ』で情報収集について述べている箇所がある。少し長いが引用する。

 

いかに優れた表現、情報といえども、二次的な情報は何らかの多面的かつ複合的な対象のひとつの面を巧妙に引き出したものに過 ぎない(図4)。そこからこぼれおちた「現実」は、それを直接見ない人には認知できない。よって、数日間は集中的に一次情報に触れることをお薦めしたい。こ れが実際に僕らに起こっていること、本当のことに対する肌感覚を与え、明確な仮説を立てるた めの強い指針を与えてくれる

引用 『イシューからはじめよ』P78

 

これは収集する情報は『一次情報を扱いなさい』ということである。課題解決のアプローチを組み立てる現状調査においては、現場でこのような状態になっているという事実の裏付けを取ることでアプローチを補強するのである。それを誰かの著書やベンダの資料では資料を書いた意図がバイアスとして事実を歪めるのでそれでは解決したい現場の課題とズレが生じてしまうのである。それを避けるためにも一次情報を集めよと言っている。

彼らはその一次情報が十分かを尋ねている訳であるから、言っていることはもっともなのである。そのコメントが正しいかは一次情報の収集対象を選定する時点で見極められるかが鍵になることは理解できる。

もう1つ の情報収集にかける時間についてが残っている。

 

■集め過ぎ 情報収集にかけた努力・手間とその結果得られる情報量にはあ集め過ぎるところまでは正の相関があるが、そこを過ぎると途端に新しい取り込みのスピードが鈍ってくる。これが「集め過ぎ」だ。 大量に時間を投下しても、実効的な情報が比例して増えること はない(図6)。

引用 『イシューからはじめよ』P84

 

多分に彼らは、時間を掛け過ぎると半分くらいの時間でソコソコの必要な情報を得られて必要十分な分析を行えることを知識か経験的に知っているのだろう。

 

『?』

『?』は『イシューからはじめよ』での掲載順である。前述の一次情報と集め過ぎないは、引用のページから確認できるように先に一次情報の集め方について述べて、そのあと集め過ぎないことに言及している。

個人的には、まず集め過ぎることのデメリットを述べ、集めたい情報の半分程度で初回の分析をすることを促す方が良いのではないかと考える。その次に一次情報の分析について説明する方がスムーズに感じる。

この辺りは自分でもそうしたアプローチを何度か試してどちらが良いのかを評価しておくと自分なりの仕事の進め方になって良いのだろう。