ウォーターフォールをやめて失敗する組織

ウォーターフォールしかやってこなかった組織がagile開発を取り入れることを決めたら、組織は非連続な成長を選択したことを理解しないといけない。

カンバンを取り入れたとき、開発チームの閉塞感やプロジェクトの進捗のオーバーランにテコ入れするだけでは無く、結果的にチームの価値観を変えることになった。機能しないWBSウォーターフォールをチームに中では捨てて、価値のあるアクティビティから終わらせる意思決定をすることになった。

価値のある(と思う)アクティビティをチームで終わらせていく。進捗上の障害があり、ものづくりのアクティビティに手をつけるより価値があるなら、その障害を取り除くアクティビティに優先順位を高くつけて、それにリソースを回す判断をする。もちろん、アクティビティを選ぶのはチームだ。

それまではプロジェクトマネージャが工程を切り、WBSの大レベルをポンとおいてチームのそれぞれの担当が納期に実現性を考慮したのかわからないままスケジュールとしていた。

こう書くとまるでウォーターフォールが悪者みたいだが、そうではない。そのプロジェクトの特性に適合したシステム開発手法を選ぶ選択肢を持ちわせていない組織が成長を自ら捨てたからである。

これまでも、これからもスコープがフィックスしている、労働集約型の特性を持ったプロジェクトであるならウォーターフォールで連続した成長を続ければいい。これは組織としてもとても楽である。同じ開発手法を採用し続けられるので、意思決定の基準を変えることを求められないし、その必要性もない。

何しろ、価値はスコープの実現であるから、そこに集中する。スコープを実現さえすればいい。コミットメントはそこに集中する。だからプロジェクト計画を網羅的に作らなければプロジェクトのスタートの許可を得られないし、始まれば進捗は計測され乖離し始めるとPMOおじさんがやってくる。

スコープが不確かなプロジェクトであれば、それにフィットする開発手法を選ばなければならない。スコープが定まらないから、すべては(仮)である。多分やって価値があるだろうとチームが同意するアクティビティから手をつける。

意思決定は、不確かで定まらないスコープをどうにかするのでは無く、小さく分解して(仮)で価値があるかをいかに早く確かめることを選択できなければならない。

組織の意思決定のベースラインが変わるのである。これまでの延長線上ではなく、非連続の、新しい成長の世界線に転生することを組織が自ら決断しなければならない。

組織の意思決定、価値観、組織構造、文化を置き去りにして新しい価値観の道具を持ち込んでも使えないと思うのは、当たり前である。そもそもツールが合わないのだから。

開発手法は道具で、それ以上でも以下でもない。開発手法だけ急に導入したら組織自身が拒絶反応を起こして使えないとやめてしまうのは当たり前である。体質があっていないのだから。

 

A Scrum Book: The Spirit of the Game

A Scrum Book: The Spirit of the Game