失敗と気づきと感度の話

 人の感度はそれぞれの人ごとにバラバラである。ここで扱う感度とは、事象に対する気づき、受け止め度合い、違和感の感じ方である。

 

自分の感度について話をするのが良いだろうと思うので自分のことを話すと鈍いと思っている。チームの仲間の発言を聴いて「なるほど」と思ったり、役員の思いの重さを感じて「そこまでプライオリティが高かったの」と考えこんだりする。

 

逆もある。メンバがスルーするところを止めて「それってスルーでいいのか」と問いかけたりする。特に上手くいかなかったことのリアクションやアクションプランが「それでは再発するだろう」と思うときにそうすることが多い。

 

専門家ではないので正しいかはかなり怪しいが、それはそうだとして「感度は対象を認知しているか」という度合いで変わるのではないかと経験的に捉えている。

 

関心を持つことで頭で考える時間が増える。自分で自分に擦り込みし始めることで、今まで視界に入っていても注意を引かなかった対象の輪郭が見えるようになる。例えば今まで欲しいと思っていなかったモノがよく見えると、それまで感じていた以上に身の回りの近いところにあったと気づくようになるのも同じだ。

 

このことから、仕事で感度を高く持って欲しいとき、ただ感度を上げろと言っても掛け声だけになるのは想定に難くない。掛け声を実現する時間を与えていないからだ。

 

でもこれでは、どうしてもトリガーを引くのは感度の高い人への依存は変わらない。ここは自分の経験を振り替えるととても難しい。

 

経験談から言えば、感度が上がる以前と感度が上がった後の間にあるのは、相当の失敗があったからなのだ。その失敗も、責任を負っていたので当時はリカバリに必死であったから、それを二度と繰り返さないようにと敏感になったのである。それを対象ごとにやってられないと思う当たりが感度が低いのかもしれない。それをカバーするのは、経験の機会の小ロットとスピードしかないのかもしれない。