ノウハウを渡すことに対して


また、新しい役割が増えることになった。組織の中で役割が増えても残念ながら報酬に結びつかないところがちょっとせつな生きもしないわけでもないが、少なくともワタシを必要だと言ってくれる人がいるわけだからそれはそれで嬉しいことだ。人は人に必要とされているときが、幸せなのだと思う。必要にならなくなったら、声さえ掛けてもらえないし、関心も持たれない。


自分のノウハウは誰のものか
長い期間に渡り、エンジニアとしての経験と広い範囲を担当してきたこととマネージャでの経験から、組織横断的な活動に関与することが増えてきた。そのような場面では、偶然にもワタシが経験してきたことが自分のノウハウとして活用でき、どうやらアドバイスを聞いてもらう側の参考になっているようだ。マネージャとして自分と一緒に働くチームのコンピテンシ向上に際して、ノウハウを適宜分け与えることは、次世代の育成や習熟度の向上の目的から自然なことで、ノウハウの移転に伴い、ワタシからチームへの権限委譲に結びつくこともあり、可能な限り暗黙も明示的にも進めている。
方や、組織横断的な活動の場合、チームとの関係とは違い、権限委譲に伴う育成やチームのコンピテンシ向上のような目的に結びつかないことから、ちょっと考えてしまわないこともない。ノウハウを与えることが嫌なのではなく、与えた後の効果を上手く自分自身で測れないからである。
人が人に理由はどうであれ、何かを与える場合、その見返りは期待しない方が精神衛生上も含め、幸せなことが多い。その観点から考えれば、組織横断的な活動であっても、ノウハウを与えることは、無償の愛であるとし、受け手が幸せになき持ちになるとしたら、ワタシのファンが増えたとすることでワタシも幸せを分け与えてもらったと思い、気持ちよく枕に頭を預けることが出来ると考える事にしようと思う。
そう考えることは、ワタシのノウハウは、ワタシのものであってワタシのものでないようなきもしないでもない。



自分が新しい役割に挑戦するということ
ワタシの持つノウハウを組織横断的な活動やそれ厭わず誰彼に与えるとしても、ワタシはその受け手がどのように思うかまでは、気にすることをしない。ワタシは、受け手の気持ちではなく、受け手に情報として渡ったときにその受け手の力となって、活用されるか期待している。ただ、その一点についてのみ期待に胸を膨らませているのである。この期待する気持ちは、子供を育てるときの成長を見守るあやの気持ちと同じであるし、チームの成熟度向上における成長を促すときの気持ちとなんら変わらないような気持ちであるような気がする。
それにより、ワタシの持つノウハウが誰彼に渡ることで、そのノウハウに帰する私の役割を誰かに譲り、ワタシは新しいことに挑戦する余力を得られるのであると考えている。

ただ、現実は、今も様々な役割がワタシに残ったまま、新たな役割と挑戦を続けるというループに入っているような気もしないわけでもないことにワタシ自身が気付いてもよいのかもしれない。





  • 道具室(アプリとか)



今日も、鞄に本が入っていない。
かわりにモンハンやっている。

  • 音楽室(PCからリンクをクリックするとき、PCにiTunesが入っているとアプリケーションが起動します)



  • 視聴覚室
  • 調達室