「説教」や「昔話」や「自慢話」は今がダメだと思っているから過去の自分の体験で相手の未来を変えようとしている

仕事をするようになってから気にしていることは、必要がなければ「昔話を自分からしない」というのがありまして。いやいや「ブログに書いているじゃん」と思ったひともいるかもしれませんが、ほら、ネタとしてとか背景説明とかで必要があるからこれかこれでご容赦いただくとして。


例えば放課後の勉強会とか読書会とかで、話の流れて経験したデスマとか教訓などをいきなり話してもコンテキストが繋がらない場合はプロジェクトの外観をわかってもらう必要があるので話したりしますけど。


先の「昔話」と直前の「昔話」は中身が違うんですよね。意味合いが。前者の昔話は過去の体験を美化していて、現在が期待はずれだとしているのだと思います。直前のワタシが話すときに当てている昔話は体験上の話だけであって過去が良いとか現在がロクでもないとかはコンテキスト上には登らないのです。


ただ前者の「昔話」に少し類似しているかもなぁ、と思うものに「自慢話」があります。ワタシなんて自慢するものがこれっぽちもないですから何かそういう感じで受け止められることをワタシが言っていたらそれは場つなぎ的なネタの提供程度の意味合いしかないです。コンテキスト上、昔話をしないといけないときはあれがよかったとか今のこれがダメ、何て言わないのです。


と、ワタシ自身はそう思って話しているけどそれを聞く聞き手がどう思うかはお任せするほかないのですが。まぁ、自慢話をするのって自分の過去の話を元に今の自分を話し相手にとってより大きく価値のある人物に思わせたいと思って話すのではないか、と。その観点が正しいとすると、今このときに自慢話をすることは今の自分自身に不安を持っている、自身を持っていないということを行動で表しているのかもしれません。


あと極力避けているのは「説教」ですね。これは一時期目の前で説教をしている光景を何度も見て、その説教後の説教の効果を外目から見ても全くないことを実感したので肝に銘じて真似をしないようにしています。


だって、その一時期見ていた説教は30分でも終わらず1時間もしているときがあるだもの。お互いその時間がもったいないし、人なんて1つの会話で覚えていられることは3つ程度ですよ。


だったら、説教ではなくこちらが期待していたことを伝えるようにしたほうがそれこそ効率的です。そして、多くても期待していることは3つに絞る。


だいたい30分も1時間も一方的に話すから話しながら説教の素材を説教する側が見つけようとするんですよ。


その結果、説教の終わる時間は長引くし、付け足しながら話すので聞き手のメモリをオーバーフローするし、それをそばで聞いている人たちは同じような失敗をすると同じような説教をされると思ってしまうんですよね。それは少し脱線するテーマだけれどいい効果なんて得られないのは明白ですよね。


昔話は自分からはしない。自慢話もするようなネタもないのでしない。説教なんて効果がないのでしない。逆に、未来の話はしますね。ワタシはこんなことをやりたい、とか、どんな風にやりたいか、とか。


「説教」や「昔話」や「自慢話」も今がダメだと思っているから過去の自分の体験を話して話す相手の未来を変えようとしているのでしょうけど。


でも、ワタシだったらあなたの経験をそのまま受けれたりしたくないですから、その経験から得られることがあれば、それを汎化した上で自分の未来のためにエンハンスするプラグインとして取り込むでしょう。


それはワタシがそうならワタシが話すあなたも同じでしょう。だから、「説教」と「昔話」と「自慢話」はしないんです。