余命1年と宣告されたらエンジニアとして何をするか

年齢的に棺桶に首までとっぷりと浸かっている状態であるし、定年の年齢もそこまできているし、厚生労働省年金受給年齢の見直しと雇用延長を延ばさなければ、そちら側へ赴く日はそう遠くないのです。

 

死に対する価値観は割と池波正太郎の小説で固められた感がなくもないですが、どちらかといえば長生きするよりは適当な年齢でバッタリ逝きたいのですけれど。

 

周りはそんなことを思っている輩に限って長生きすると言うのでそうなっても面倒だなぁと思うのだけれど、そうなってしまえば仕方がないかと。

 

男振 (新潮文庫)

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聞いたところでは、ご幼少のみぎりに一度、三途の川を渡り掛けたことがあったらしく、親しい間柄を呼ぶように言われたらしいのですがなぜかまだ早かったようで現世に送り返されたようです。何せ、おチビちゃんな年齢だったようで記憶が一切残っていないのはもしかしたら生まれ変わってがわ(外見)は同じでも中身は入れ替わっているのかもしれません。

 

わたし自身に身に覚えのないそんなことがあったこともあり、それ以降の人生はアディショナルタイム、おまけのようなものだと思っているのです。

 

「あなたの余命は持って1年です」

メーリングリスト(古い)で数回見たのは人生最後に飲む酒は何かというものがありましたが、もし、月曜日の朝になんとなく具合が悪く、病院に行ったらいきなり精密検査でドクターから

 

「あなたの余命は持って1年です」

 

と宣告されたらエンジニアとしてどうしますか。

 

スタートアップしちゃおう

カミングアウトして仕事をするかなぁ。周りは気を使うかもしれないけれど、プロとして働ける間は働きたいなぁ。さらに、書き物、商業誌を1冊残したいなぁ。イベントやカンファレンスも公募が通れば出たいものです。

 

仕事は社内は勘弁してほしい。残りの体力も外で使うか事業企画してプロダクトマネージャなんて面白そうだね。何せ、タイムボックスの中で生きるわけで、無駄なことをやっている暇もリソースもないのだから、スタートアップにこれ以上向いている状況設定はないのではないかしら。

 

「PBLのこれもやりましょう」
「そんな無駄な機能インプリしている時間なんてないよ」
「他のアプリならどこも実装していますよ」
「オレの時間は有限なんだよ。物理的にな!」

 

多分、多くの人は家族と過ごす時間を多く取るようにするのだろうけれど、病気だから、余命が宣告されたからといって増やそうとするのはかえって家族に負担になるだろうなと。

 

そんなことはやってしまえば後は周りが、家族が受け止めればいいのだけれど、そうしたことに気をかけるよりは、外での活動をしたいなぁ、と。

 

 

こんなことを書こうと思ったのは小林麻央さんが亡くなられたことも一つのきっかけなのだけれど、死についての思いはそれぞれなのでこういったことを考えているエンジニアもいるんだよ、と。

 

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