なぜ人は苦労話を聞きたがるのか
先だってプレゼンする機会があり、プレゼンの後に
『何が大変だったか』
『大変そうな経験をさらっと話されていたが』
と質問があった。つい、うっかりと
『大変そうに聞こえたかもしれないが、プロなのだから、さらっと話して当たり前じゃないか』
と答えてしまった。こちらとしては、15年も前にPMPを取ったとき、いや、受験の勉強でPMBOKのイズムを読んだときからプロとしての覚悟をしているのである。
だから、『何を言っているんだ、コイツは』と思ってしまったのだ。
それまで、伝えたいことを伝わるように話すことに集中していたのだが、この質問で素に戻り、もう、そのあとは成り行きに質疑応答となってしまった。
さて、聞かれていた方々は、どう受け止めをされたのか。
帰る電車の中で、なんとなくプレゼンを振り返ってみたのだが、そう言えば自分自身もエンジニアの採用では『人生で一番苦労したこと』を聞いている時期があった。その質問の意図は、『人生で一番苦労したことをどう乗り越えたか』という対処や工夫や腹を括ったなどの乗り越えられたポイントを聞きたかったんじゃないかと思う。
質問されるシチュエーションに依存するだろうが、今思えば(自分が質問されて)そんな質問には意味がないのだ。
つまり、いくら苦労話を聞いても、質問の意図がただ大変だった物語のような定性的なことを知ったとしても全く参考に値しないのである。
聞くとするならば、どうすれば回避することができたか、その大変な思いをしたあと、どうやって繰り返さないようにしてきたかを尋ねなければならない。
質問の意図が人の採用に関わるなら殊更である。なぜなら、学習する能力を推し量るためである。昨日のあなたが成果を生み出すエンジニアであるかを知る10の質問にも当然、含まれている。
あと、もう1つ苦労話を聞いても聞いた人にとってほとんど役に立たないと考える理由がある。それは苦労話はある意味、エラーケースでしかないからだ。苦労話の話し手は実体験を話そうとするので個別のケースを話す。その個別ケースは、様々な組み合わせの結果の事象であるから、話をした人と同じ条件で聞き手が体験することなんてあり得ない。だから、その体験以降にどうやって回避したかを尋ねた方がトップダウンな思考で回避した可能性が幾分あるので意味があるのだ。

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