逃げれば後悔
自分が子どもの頃、嫌なものから逃げていた。見た目で始めた習い事も、練習をろくにしないから上手にならず、ハードな科目のときにはお腹が痛いと毎回休んでいたら、それがバレて戻されたり、遊んでいて、自分が捕まると遊びから抜けていたら相手にしてもらえなくなったりと、今思えば、当たり前の結果になることを自ら進んでやっていた。
仕事を始めた頃も、何か、仕事の意味がわかっておらず、ろくな結果を出せていなかった。今では自分のことを馬鹿すぎると思うのだが、子どもの頃と同じように仕事を終わらすことから逃げていたのだろう。
それから、逃げるということ自体、選択肢からなくなってだいぶ経った。
多分、プロマネを自分の意思で選択し、自分の考えたプランで学習し、結果を出したからだろう。いや、その前から、目指そうとしてプロマネではないが、プロマネだったらと素振りを始めるようになってから、かもしれない。
プロマネをやるようになってから、目の前にあるモノから逃げることより、捉えどころのないリスクを識別し、軽減なり、回避するなりの手段を用いて、対象は何であるか、その対象は何もしなければ何が起きるか、起きたときどんなインパクトを受けるか、どう対処できるかという一連の流れを身につけられ、実践できるようになったので、捉えどころのないモノは何かしら把握でき、不安を不安のままにしておかない習慣が出来上がっていた。
捉えどころのないモノは、全部低減する訳ではない。選択肢には、必ず回避が含まれている。これは、検討した結果リスクを躱す選択肢と仕方がない飲み込む選択肢を含んでいる。ポイントなのは、躱す、である。躱す選択肢は、正面からまともにぶつかることをしない。逃げる訳でもなく、捉えた上で、ちょいと身を躱すのである。
そう捉えると、逃げていないからあとあと後悔することがなくなる。逃げていれば、自分は逃げたと自分を責めるだろうが、回避であるからそれがない。
あとあとの心理的な面でもヘルシーである。逃げたら後悔するが、回避であれば後悔しない。