成功体験をKonmariしないとエンジニアがKonmariされてしまう

ITエンジニア(以降エンジニア)もキャリアがジュニアの時期は、エンジニアとしてあれができる、これができるという成果、貢献するだけの確信を持っていないから、不安である。だから、ジュニアエンジニアには小さなタスク、手頃なタスクをいくつか選んでもらい、出来たよね、という成功体験を積み重ねさせる機会を作り、頃合いを見計らってタスクのチャンクにトライさせる。現実は、そこまで丁寧にはアサイメントはできないし、想定していないもっと手前のところで躓くから質問をできる環境づくりは欠かせない。

エンジニアが100人いれば100通りの育ち方があり、100通りのやれたという自信の付け方がある。中には誤魔化しの自信で切り抜けようとするエンジニアもいるがそういったメッキは矢面に立てばすぐに剥がれる。

身に付けた自信、できることは軸に育つまでグラグラとしたもので、でも、その自信にしがみ付いて虚勢を張れるのは若さか、そうしないと実際やれると思われないほどの技術しか持ち合わせていないからだ。

そうこうしているうちに自信の軸ができるとその自信がエンジニアの足枷になる。思考、振る舞い、価値観、判断基準全てにおいて成功体験がベースラインとしてエンジニアを内面から引っ張る。

日常的に新しいものへの関心が低いと自信の周りは埃をかぶり、時代遅れになる。定期的に成功体験をリフレッシュし、新しい考え方や手法と比較し、洗練することを繰り返し、少しずつ更新を続けていないと古い考え方の老害にしかならない。

新しいものは違和感を感じるものである。年齢に関わらず、自分の周りで主張していることに違和感を感じルことがあれば、それは自分の価値観がズレていて、自分の自信を揺らがすことに対する危機感を感じているのである。

その新しいものが良いものか取るに足らないものかは、試してみなければ判別つかないがそのためには自身で塗り固まった成功体験を一部でもKonmariしなければ新しいものを取り込み評価することはできない。

仕事で100%タスクに割り当ててしまうと単なる作業員になってしまい、先々を考えることができなくなってしまうようなものだ。余裕があるからどうすればかっこいい、シンプルな成果を出せるかを考え、試すことができるのである。

成功体験で凝り固まっているエンジニアこそ成功体験をKonmariしなければならないのにしないから、組織からそのエンジニアはKonmariされてしまうのである。

 

The Life-Changing Manga of Tidying Up: A Magical Story (The Life Changing Magic of Tidying Up) (English Edition)