助手席での寝顔を見るのは好きだった

今日は3連休明けでテーマも思い浮かばず、最近考えていることについてを書こうと思う。日常的なエッセイに興味のない方はそっと閉じていただく方が良いかもしれない。

子どもさんも大きくなり、自分で意思決定してやりたいことを自分の価値観に基づいて行動するようになった。そうすると帰りは遅くなったり、家を空けたりするようになる。それ自体は子どもさんそれぞれが自分で考えて行動しているのであれこれ小言を言ったり、家に縛りつけるようなことはしない。自分が同じ年齢の頃、やはり、小言を言われたりはしなかった。多分に、どう接して良いかわからなかったのではないかと思わなくもないが、自分の場合は意識的に言わないようにしているし、特に家に縛るように門限を設けたりはしない。子どもは子どもの考えるように行動し、世界を広げて欲しいと思っている。これは自分の世界がとても狭かったことを気にしているからかもしれない。

そうして、ワイフと2人で過ごすことが多くなった。自分は休日でもモニターに向かって書き物をしているか、ネットで過ごすか、ときどきレイトショーを見に行くか、庭の手入れをするくらいしかしていない。

人に話すようなことでもないのでアレコレと書いたりしないが、これから長くない時間を今のまま過ごすかと考えると恋人同士だった頃、毎週のように出かけていたようにどこかに出かけてもいいのではないかと思うようになった。これは自分自身の変化によるものが起因であるのだが、そうした変化があったことでこれからの時間の使い方を再考する機会になったと捉えれば、それはそれで意味のあることなのかもしれない。

人は目盛が少なくなってから初めて当事者意識を持ち、準備不足で慌てる。そして何しかしらを残そうとあちらこちらに突散らかす。幸いにも自分には世間に残るものがあるのでそんなことは慌ててする必要はないし、バックログにあるものを今までのように自分のペースで出し続ければいいだけである。

みんな忘れがちだが、未来は続かない。どこかで終わる。どうしてか、どんな順番でかは知るところではないが、無警戒のところに突然くる。それを知っているだけで、それなりのことをやっておこうと思うようになる。いや、いつものペースでアウトプットをしておこうと思う。

そんなことをつらつらと思っているところで、久しぶりにワイフとドライブに出かけた。いつものようにハンドルは自分で握るが、交代しようかと誘うもの以前からである。やんわりと辞退されるのでハンドルを握り続ける。

高速道路を走るとき、割と静かに運転する方がいい。話しながらも楽しいが、助手席で寝ていても気にならない。若い頃から、助手席での寝顔を見るのは好きだった。こんな感じの寝顔をするのかと。少なくとも安心しているから寝られるのだろう、と。

出かけている子どもさんのことを話したり、出かけた先のスイーツの感想を話したり、ここまで出てきたのだからちょっと先まで行って少し豪華なご飯を食べたりして、お土産を買って帰途につく。

途中、寝顔を見ながら。

 

TSUGARU

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