成長を他者に求めるエンジニアは意識高い系だけではないか
ここのところ情報を外に出て取りに行くことを感けており、とは言え情報のインプットをしないと空っぽになってしまうと思ってしまう病を避けるように往訪してもらう予定を入れて急場を凌ぎ、半ば自ら強制的にインプットする場を設けている。
事業会社の仕事は担当する業務をやれていればいいが、いくらでも仕事が湧いてくるのでキリがない。キリがないから目一杯やってしまう。結果、インプットのパイプラインを自らバルブを閉じてしまう。
エンジニアのときには、この行為自体が自殺行為である。インプットをしないエンジニアのバリューは増えない。バリューとは技術スキルであれば今joinしているプロジェクトや顧客でしか使えない業務のノウハウではなく、他社や別のプロジェクトに移っても適用できる技術スキル、高度なプログラミングや手法、方法論を目の前の現場でテーラリングして課題を解決する能力である。
であるから、意識的に業務時間内にIT企画業務でその分野の専門家を呼び技術研修的な場を設けたり、エンジニアそれぞれが持っている知見をシェアする機会を設けるが、外部講師でもないと組織の中の人に特有の突発的な割り込みが入りやすく室内のイベントは劣後してしまいがちになる。計画通りきちんとやればいいいじゃないかと思うのは、事業会社のエンジニアはどこを向いてエンジニアリングサービスを提供しているか忘れているかご存知でないのだろう。
それで外部から教育の専門家とユーザ系企画部門の方をゲストにお招きし、個人授業というかこちらの考えている構想を肴に小1時間ディスカッションする。ある意味ではこちらのというか自分の将来の種まきで目が出たところで、苗に興味を持っているかをお尋ねするような品評する場と言えば場である。
翌日の早朝、ふと何年も前にメディアの役員と飲んでいる場で言われたことを思い出し、前日の場面と結びついたことに気づいた。それは、なんだかんだインプットを努めて行なっている
『(某界隈のエンジニア)の君たちは意識高い系だよ』
と言われて
『いえいえ何をわけのわからないことを言っているんですか』
と受け答えたら、
『意識高い系だからインプットするし、技術のトレンドも追うし、バリューアップをやっているんじゃないか』
ととどめを刺された。そこでスマートに肩透かしをすればまだしもオフセットなしで受け止めてしまったので一本取られた形で終わってしまった。
その光景を思い出したのである。
ユーザ系企画部門の方は、エンジニアのバリューアップ、いや、エンジニアのキャリアについて色々と課題感を持たれていてそれをどうにかしたいという使命感で独自に動いているのだと教育の専門家から紹介されていた。
こちらのすでに言語化されたベースの事業構想、セットになるシードをネタに会話をしていた記憶と以前の光景が結びつく。
意識高い系のエンジニアもパレートの法則の80%に分類されるエンジニアのキャリアを心配する企画部門の方も同じ種族なのだと気づいたのが翌朝だった。
意識高い系のエンジニアも企画部門担当も、自分の価値をあげることに抵抗がないというよりそれが当然であると振る舞うと今の自分と将来の自分を必然と比較するようになる。そこでのギャップが動機となってインプットをし始める。それは成長というよりは価値をいかにして下げないか、少しでも増やすかが目的であり成長は結果のプロットでしかないからそこに興味はない。
しかし、その価値を減らさない、微量でも増やしたいということについて楽しいからついつい他者に口コミをし始める、もしくは組織内を見回して自分が勝手に取り組んでいることをしていないエンジニアに対して将来大丈夫かと世話焼きになる。
これが日々重なり、気づくと価値を上げることをすっ飛ばして他者に成長したかどうかをつきける構図を作ってしまっている。受け身で仕事で困らないのであれば余計なことをしたくない一定のエンジニアから見ればとても迷惑な事案にしかならない。
受け身で仕事に困ったときだけ勉強をするようなエンジニア(非エンジニアでも同じ)に対する価値の付加を考えるのは経営者が意識高い系の場合に起きる。そうすると企画部門、人事部、育成室のようなところに仕事として落ちてくるがあれこれやっても一向に効果は得られない。そこで棚なぼたなのは外部の教育事業を行なっているものだけである。まあ、アウトソースしている時点でダメであるし、教育を行うセグメントの設定、ペルソナを間違っているという致命的なところではある。
結論は、人と話すと自分の中で色々と繋がり、新しい気づきを得られるものだなぁ、と。これも意識が高いのだろうか。