リモートワークで浮いた通勤の2時間はどこに消えたのか

リモートワークは、働き方改革で声高に言われていたが、なんだかんだ延々と進んでこなかった。それが新型コロナウイルス、COVID-19の登場で、今までリモートワークを渋っていた経営者も強制的にせざるを得ないと、判断させるまでの状況になっている。

 

こうしてみると日本は本当に外部からの強力なインパクトがないと変わらないのだな、と思う。

 

リモートワークをやってみると、今までの日常の無駄が浮かび上がる。通勤時間を筆頭に、話すことのない会議も出る必要はないと実感しているのではないだろうか。

 

カンファレンスや勉強会に出て行くようなエンジニアは一握りで、実はそう言ったエンジニアは意識高い系エンジニアだとメディアの役員に『あなたのことだよ』と言われたときに何を言っているのだと言い返してから久しい。

 

そのカンファレンスは、ことごとくキャンセルになるし、一部は実験的にオンラインに移行し始めている。勉強会やLTなどは規模もトラックもないからそれをやり易い。

 

在宅での通勤時間の無駄な体力の消耗やカンファレンスのオンラインが定着すると、移動時間が丸っと手に入る。ドアツードアで片道1時間なら、24時間中2時間が生まれる。

 

その2時間で何をするか。

 

採用面談でキャリアシートをみると、これから取り組みたい技術や興味のある技術を記載しているエンジニアを割と見かける。定型的なフォーマットだと、そういったことを書くことを無意識に書かなければならないと思っているのか、書く。もしかしたらエージェントに書くように指導されているのかもしれない。

 

ではその取り組みたいと思っていることをするチャンスではないか。毎日、通勤で消耗していた2時間丸々手に入る。それをどう使うかは取り組みたいことのあるエンジニア自身のことだが。

 

一つ言えることは、取り組みたいことがあるエンジニアは実際にはやらない。ずっとやらない。やるエンジニアは無理くりにでも時間を作ってやっている。なぜなら、自分でやりたいと思ったからだ。やりたいこと、取り組みたいことを実際にやっているエンジニアは、すでにやっている状態であるのでさらに次のやりたいことを見つけられる。

 

自分で自分を取り組みたいと書いた時点に置き去りにするのは、取り組みたいと書いたエンジニア自身である。組織でも、忙しい仕事でもない。

 

自分に指を向けて。

 

 

 

小説 盛田昭夫学校(下) (講談社文庫)

小説 盛田昭夫学校(下) (講談社文庫)

 
小説 盛田昭夫学校(上) (講談社文庫)

小説 盛田昭夫学校(上) (講談社文庫)