教えるということ

実は、プロジェクトマネージャ向けの講座を始めていたりする。講座の受講生を見回し、自己紹介を済ませ、この回のテーマに進む。内容は少ししてから書こうと思う。なぜかと言うと、
思うような結果が得られたか、自分の頭の中で消化しきれていないのである。

講座の目的は、講座募集で説明しているわけだし、実際の講座の前段でもこの回の講座のテーマを説明しているのだが、本題に入ってからの受講生達の顔を見ても、理解してもらえているのかがいまひとつなのである。

そういえば、ひとに教えるときには受講生の中で頷いているひとや目が合ったひとに話すと良いと聞いたことがある。この回では、2〜3人が所謂アクティブリスニングをしていたようだ。

話を戻して、何が自分の頭の中で消化しきれていないかと言うと、テキストを都度の講座でを渡すのだが、テキストを渡すと手元を見てしまい、プロジェクタをあまりみないのである。つまり受講生が下を向いていると、今話していることが本当に理解されているか、それとも、理解できていないのだが聞くに聞けないのか判断付かないのである。

まぁ、小学生ではないのだから聞けるだろうと安易に思うかもしれないが、それはやはり人ごとの個体差があり聞けないひとは聞けないと自分(筆者)の中で定義しているので、ついつい調子を合わせる受講生に視線を合わせてしまい、教えている傍から自分の教え下手を痛感せざる絵ないのである。

ところで、受講後には受講アンケートを貰うようにしているのだが、ひとそれぞれで書くことに表現が違うため、アンケート用紙を見ながら、書いてくれたひとの顔を思い出し、ついついニヤニヤしてまったり、はぁんとガッテン(示唆に富むと言うこと)してしまう。

消化できていない理由には、上のアンケートで記入してもらったアンケート結果を取捨選択して何らかの形で受講テキストを改版しなくてはなぁ、そして、次回以降の講座テキストも見直しをしないといけないなと思い心の負担があるのだろう。