今日ひとつ知らないことを知る機会があればこそ官能的な体験ができる
ただ仕事をしに行かない
仕事に行く動機のひとつに、昨日まで知らないことを知ることができるというものがあります。それは、驚くようなことでも些細なexcelの小技でも、何でもひとつ今まで知らなかった新しいことを得られたのなら、「あぁ、今日も仕事をして良かった。」とおもうんですね。
知らないことを知ることがなければどう思うかと言えば、別にどうってこともないんです。閾値は“ゼロ”にしておけば、新しく知ることがなくてもプラスでもマイナスでもないのです。そうした基準値をココロに持っているからこそ、知らないことを知ることで喜びが違うんですね。
ただただ変化を感じることがない人も居るかもしれませんが、そういった感受性で日々の生活を過ごすよりは何かを知ることを喜びとするほうが気分的に違うのだと思うんです。いや、変化を希望せず、日々是定常運転でもいいのですけど...。
知らないことを知る機会を作る
何も知らないことを知る機会は仕事ばかりではありません。ワタシの場合は、読書を経て自分が今まで使ったことがない“言葉”や“言い回し”に出会って、その言葉や言い回しを使う自分をイメージして使う場がありそうだとこれもいいなって思うことのひとつです。
あとはインターネット。はてなスペースがβのときに招待されてはじめたのですが、最初は勝手がわからずどうしたものかと手を余らせていたんですが今では毎日アクセスするほどのsnsのひとつになっています。
スペースはカテゴリ単位にトピックが立つので関心があるジャンルに意識的にjoinするわけですが、それでもそのカテゴリやトピックが“いま聞いてる音楽をアップ”のようなものだと自分が良く聴くジャンルとほかのユーザが違った音楽を聴いていることは容易に想像がついたとしてもそれがいったいどのような音楽なのかまでは知る由もないし、そのトピックで“いま聞いてる音楽をアップ”してもらって試しに聴いてみると、今まで一度も聴いたことがない音楽を教えてもらうことになって、それはそれでとっても刺激的に思えるんですね。そういう意味で、スペースは今ワタシにとってとっても面白いsnsなんです。
教育は官能的な麻薬
自分を教育することは、とても際限のない官能のようなものであるのだなぁと。そして教育するためには情報を入れ続けることが必要で、その燃料となる情報は、結局、それを食べてみて口に合うか合わないかを自分で判断しなければならないのだなぁと。
書籍もそうだけれど、情報を得る機会としてのインターネットってすごいなぁと思うし、それが自分にとって栄養となるのか毒となるとかは自分自身が汗をかくしかない。でも汗をかいた分は官能的な美味しいデザートが待っているのでやめられないのですねぇ。