コミュニケーションプラットフォームを持つこと

コミュニケーションを取るって面白いなぁと、昨日、改めて思いました。どちらも、電子メールでのやり取りでのことです。Aさんとのメールのやり取りは、お互いに書いている時間がずれているので出したメールの返信が返ってくるまで中1日開いてみたりして郵政メール(手紙)ぽいところが待ったりしていていいです。Bさんとは昨日の夜にスマホで電子メールをそこその数をまるでチャットみたくやり取りしたのですがこっちはAさんとは違って即時性があってまさに会話しているようで楽しかったです。不思議だったのは、メールボックスに入らずにメッセージの方に入っていたのですが。Bさんとはメールアドレスしか知らないのでそれでやりとりしていたのに。


こういう書き出しで始まるとコミュニケーションのコトについて書かないといけないような変な気持ちにならなくもないですが、最近、コミュニケーション系のエントリも書いていないような気がするのでそうしましょうか。


どこかの記事で「アメリカ人(?)は初対面でも笑顔を返す」と言うのを読んで、それいいなぁと。仕事場では、割とニコニコしているほうが多いようで、「笑顔だけどいいことあったの」と聞かれることも少なくないです。


単純に何も考えていないから、ムスッとしているよりはいいだろう、くらいでそうしているだけですけど。


ワタシは若いころ勉強をしてこなかったのでコンプレックスを持っています。後悔、かもしれません。まぁ、どっちにしても後ろ向きな考えですね。でも、そんなことは誰かに言っても面白くなるわけじゃないからいわないです。これはワタシとワタシの中にいるワタシとのコミュニケーションでやり取りすることです。


たまたま、仕事の延長線上で、かな、組織中で3番目くらいに国際資格を取って注目を浴びて、勉強することはリターンがある、と気づいたわけです。その勉強ネタが話題となって人がそばに来てくれる。そこで新しいコミュニケーションの輪ができるんですね。こちらも応えようと情報を提供する。よさそうでしょ。でも、そうしたコミュニケーションは相互に情報をgive & takeできるか、もしくは、giveする側がgiveをすることでtakeする側の反応から情報を得るかがないと続かないです。


どっちにしてもコミュニケーションの輪と言うプラットフォームができることに、いつしか気づいたんですね。これはすごい、って。遅いですかね。まぁ、気づけたからいいことにしましょう。


そのコミュニケーションのプラットフォーム(名前、今考えました)を作るのは、まだやさしいと思うのです。無理にでも声をかけて回ればいいのですから。でも、そのコミュニケーションプラットフォームを維持するとなると、もう、大変です。維持することさえ無謀に思えることもあります。コストがかかりすぎる。コストと言っても金銭ではなくて、時間と関係の維持、です。


そのときに、何を目的にしているかを意識しないと諦めたり、場が続かないことを他責にしたり、と続かない方に続かない方に流れてしまいます。


それをしないようにしたことは、コミュニケーションプラットフォームに敷居を設けないことを意識することでした。わかる人だけ集めていれば、それは内輪の会話ができるでそのときは楽しいかもしれませんが、なにせ、母数が小さいので何かと行き詰ります。


だから、考え方、関心をそれほど持っていない人にも興味を持ってもらえるように、ハードルを取っ払って、たまたま時間があったから、見たいな人まで呼び込む方向に戦略を変えたんです。


そのためにしたことが一番大事だったかも。それは、ワタシの考えと違う世界観でみなさん生きているのでそうした人たちと会話をできるようにする努力をすること、です。


特段、ノウハウがあるわけじゃないです。コミュニケーションの基本かもしれません。相手に関心を持つこと。話す内容を共感すること。自分の意見は聞き終わってから。


場は、コミュニケーションプラットフォームはこちら側が握っていますから、あわてることはないです。気持ちよく、相手に話してもらう。会話を成立させる。これだけでだいぶ変わります。