エンジニアとしての危機感とキャリアプラン
わかりみしかない。
修士号も博士号も持っていない。専門は情報だったが経営寄りで上の子が学んでいる授業に比べたら概論程度のものだった。学科名と選択した授業を思い出すと情報より経営主体だったから、結果的(=今の仕事のロールとして)は、よかったのかもしれないが。
今の仕事(顧客を含め)や組織の同僚、部下の専門を知る機会がある度に、理工学部が多いこととコンピュータサイエンスを学んでいた方が多く、更に言えば高学歴であることがわかると居場所がないのではと思うくらいなのだ。
危機感
危機感を持ったのは、エンジニアとして採用された後、数年後の初めての部内異動で仕事をしたときかもしれない。全くもって実力がないというか数学の知識がないことに愕然とした。
でもその時は何もしなかった。
しばらくして、その部門から他の部門の応援に行くことになり、そこでもまたエンジニアとして、特にプログラミング能力の欠如を知ることとなった。
当時のプロマネがその後異動して直属の上司となり、キャリアは1つではないことを教えてくれた。
キャリアパスを選ぶときの判断基準
そのときに考えたのは、できないからもう1つの道を選ぶような撤退戦をするのではなく、もう1つの選択肢の方が自分の持っている素養により適合しているから選ぶのだ、ということだ。
人は(特に自分は、かもしれないが)、自己に甘い。それはそれで必要なときはあるが、キャリアは収入と紐づく。収入を得るなら自分が持っている性質の中で適合率が高いスキルを生かす仕事を選ぶのが正解だと思っている。
適合率が低いキャリアのままで進んでしまうと、不適合部分をカバーするリソースを補填し続けなければならないし、修行を超えた辛みしか生産しない。
これは悪循環である。不適合のカバーで消耗し、本来、将来の自分への投資の道を自ら塞いでしまうのだ。
まあ、こうしたことも選択する際に自分自身の考え方として腹に収めたり、その後経験的に学んだことでもある。
危機感の程度
危機感は自分自身が感じることだ。
他人(例えば上司とか)が言う場合の危機感は、属する組織の事業の方向性からその方向性にあっていないエンジニアに対してキャリア的に外れてしまうことを予測した危機感かもしれないし、事業の縮退予測から今のキャリアのままだと結果的にキャリア転換しないと事業レベルで仕事がなくなる危機感を語っているのかもしれない。
後者はさておき、心に占める危機感の大半は前者である。
こうした危機感は、自分の成果である保有技術のプラクティスや経験知を外部に発表することや自分の技術を市場価値で評価することで経験できる。
言い換えれば、ニーズがあるかどうかをしればいいのだ。
危機感を軽減するには
何度か書いてきているが、キャリアプランを作り、それで自分の目指すエンジニアを日々積み重ねるしかない。
ただ、黙々とこれをやっていても頭をよぎるのが
「このまま続けていいのか」
「間違っていないか」
という不安であるが、これは実績を作り、市場価値を知ることで経験するほかない。
結局、身体が物理的に1つしかないので、一度にできることは1つであるということを受け入れることと、どれを選んでも正解はないということを頭だけではなく諦念として受けれることである。