言われたらそのとおりやらないといけない病

スケジュールを確認する前にメンバが席までやってきて、打ち合わせしましょうと打ち合わせスペースまで連行られる、そんなある日の午前中。

 

打ち合わせテーマは、テコ入れで首を突っ込んだプロジェクトの2つ目のアクテビティをどう進めたらいいかという相談。

 

どう進めようと思っているかを聞いてみると、うむー、どうしてそう思うとか、それはこっちで決めて仕舞えばいいじゃないかとか、アクテビティで扱うタイミングと対象のチャンクの話じゃないかとか、どっちでやったとしても結果は一緒だぞとか、ファシリはどっちが実現的かとか、思う。

 

一番気になったのは、インプットになる前工程のアクティビティの結果に対する、受け止め方である。

 

エンジニアに限らないのかもしれないが、ある場での結果と、そのある場の前に自分たちで想定していた仮の進め方と違うと、そのある場で決まったことを正として「変えられない」ものと捉える人がいる。

 

元々こうやって進めようと仮説、つまりこうやればうまくいくだろうと仮の進め方を組み立てていた。それが前工程で作業対象に一つ属性が加わった。

 

自分たちのやりたい結果は全く影響しない。ただ、途中のアクティビティでの取り扱う対象の単位を元々の粒度でいくか、それとも追加した属性でやるかという話でしかない。

 

相談してきたエンジニアは、追加した属性で後続のアクティビティをファシリしないといけないのだという。

 

でも、

 

・目指すゴールは変わらない

・追加した属性はチャンクの粒度であって階層が増えるだけ

・ファシリする裁量はこっち

 

なのであれば、追加した属性なんぞ、気にする必要はない。結果は変わらないのだから。

これがゴールを変えるほどのインパクトのある観点だったら、後続のアクティビティlを見直す必要があったかもしれない。

 

でもそんな影響は1ミリもない。制約を自分から掛ける意味はない。無駄。

 

誰かが何かを言ったらそれを全部汲み取る必要があるかどうか。それを考えられない。そんな考えを持っているから、自分で書いた筋書き通りに進まないのである。

 

ゴールに影響するなら話は別で、どこまでどう対応するか筋書きを書き直しなければいけない。

 

でも、そうでないのなら、いちいち対応しなくて良い。これが処方箋。

 

そういう判断をしてもいいという考え方を持っていないと、とても辛いと思う。

 

 

 

戦争は女の顔をしていない (岩波現代文庫)
 
戦争は女の顔をしていない 1

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