悪い習慣をやめる

最近止めたものに、このブログがある。何を止めたかというと、連続更新を止めた。

 

これまで体調が悪いときならベッドの中で、旅行のときなら普段どおりに起きてコーヒーを飲みながら毎日書き続けていた。数年に1回くらいどうにも時間が取れないときには、前々から仕込むと無駄に続けていた。

 

アルファブロガ(死語)からニッチなサイトですねと言われたり、実際にアクセス数は大したことはなく、なんのために書き続けているかと言えば、書くことの素振りでしかない。

 

ニッチだからこそ、一時期は毎日はてブとコメントをつけてくれたエンジニアがいて、その時期は割と楽しかった。ただ、こちらで書くことがプロジェクトマネジメントやチームビルディングのhow toからシフトし始めるとフェードアウトした。

 

続けることが閾値を越えるたびに、途中でこのブログをやめようかと思ったり、noteに移るかと思ったりしたこともあったが、結局、惰性と変んな拘りで続けていた。

 

今回はちょっとした事情とリソースを他に回したいと思うくらいにやりたいことがあり、これは逆にやめるチャンスなのでは、といつも思わないヒラメキが降りてきて、連続更新をしないまま1日を過ごした。

 

思ったほど気にならず、日付は過ぎていた。

 

連続更新日数は3000日はゆうに超えていて、すっかり習慣担っていたが、続けることは相応のリソースと何かを書きたいかを決めることが負担になっていた。

 

新しいことを始めるには、習慣にすることが手っ取り早く確実で、これまで何度かエントリに書いてきた。

 

習慣化する能力は必要だと思っていて、決まった時間、決まった曜日と前もって決めた時間枠としてリソースを押さえることが習慣化することではとても大切なことだ。その時間なったら何があってもやると決めておき、それが回を重ねて行くと、逆にやらないと気持ち悪くなっていく。そうなると習慣化したと言える。

 

ただ、無理をしてでも続けなければいけないかというとそれは習慣のダークサイドであり、自分を習慣で縛り過ぎていると思った方が良い。今回のブログの連続更新日数はこうした機会がなければ気にすることはないが、連続更新の数字ではなく習慣をやらなかった自分に対して義務感を要していたら、それは間違いだということだ。

 

以上の経緯もあって、このブログ自体は、不定期更新にすることとした。これで、毎日更新する義務はなくなった。気まぐれで更新していたら、偶然連続で更新しているかもしれないが、それは気まぐれの結果でしかない。