新型コロナウイルスは進め方を失敗しながら多くを学ぶチャンスだとしたら

先週末の3連休ごろから新型コロナウイルス疲れなのか、冷めやすい国民性なのか、まるで日本では新型コロナウイルスパンデミックはまるで解決したような気の抜け方をしているし、今朝の品川駅港南口の通勤する人の多さにリモートワークはどうしたのかと不思議でしかない。

 

世界的に今、ちょうどパンデミックなのに。

 

そのパンデミックのせいで、生活はマスコミに煽られた人たちで物資不足は引き起こされるし、必要な人に必要なものが渡らないというおかしなことになっている。

 

ベトナム戦争はTVか映画の中で外の世界の話だった。大地震が起きることは社会科で習っていたが、人生で経験するとは思いもしなかった。3.11は当事者であったが自分の生活への影響が軽微だと傷は擦り傷程度でしかなく、見えない曇りガラスに遮られてしまう。

 

今回の新型コロナウイルスパンデミックは、ちょっと違う。世紀の疫病なのではないだろうか。そうした自然の脅威(なのかどうかは知らない)の当事者として、積極的に経験ができると捉えると貴重なのではないかと思えてくる。

 

なにぶん、人類が未体験の疫病である。いや、感染症か。だから答えを誰も持っていない。意思決定をするには情報は少ないし、嘘やデマの中から本当らしい情報を集め、つなぎ、こうだろうと組み立てる0→1の思考が求められる。

 

その上、スピードも必要だ。それを訓練するにはちょうどいい。リモートワークのシステムや制度があったとしても、今まではチョロチョロとしたごく一部の人だけ例外的に運用していただけにすぎない。それをいきなり負荷試験できるのである。実運用でいきなり負荷試験だ。どう考えてもうまく行く気がしない。でも、その感覚は正しい。

 

0→1の思考も運用の負荷試験も共通しているのは、うまくいかないだろうという想定である。

 

そこで正解を聞くのではなく、目的から何をそのタイミングではマイルストーンにするか、進め方を失敗しながら多くを学ぶチャンスなのではないかと思う。

 

安定していてはとてもできない体験ではないだろうか。

 

終電ちゃん(8) (モーニングコミックス)

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