なぜ若者はブログを書き残すのか


自分の若いころと比べたら、みなさん凄過ぎ
ふと、「なんでこんなに若い人たちが頻繁にブログなどに書き残すのかなー」って常日頃から不思議で仕方がない。自分が若い頃、若いころといっても20年くらい前のことだけど、そんなこと考えも、やってもいなかった。もちろん、物理的にインターネットは普及していなかったし、あってもnifty serveパソコン通信くらいだったか。少しはniftyもやったけれど、どちらかというとnetnewsの方が馴染みやすかった記憶がある。自己表現をしようとするなら、HTMLを覚えてシコシコ書けばよかったのかもしれないが、そういうの面倒だと思ってしまう。

いま、自分が関心を持っている領域は、プロマネがベースだ。そこをベースに矢鱈滅多らなんでも“気になった”ことに興味を示すようになった。自分という生き物は、不思議なものだ。何がキッカケで変わる分からない。自分のことは棚に上げて話を戻すと、自分が興味を持つことについて、たとえばagileなどは、30代の(自分より若手の)エンジニアが主力としてせっせとブログやslideshareなどでアウトプットし続けている。プロマネの領域でも、担当のエンジニアだろう人たちが、プロマネに興味を示して試行錯誤しながら、自らの気付きを書き残している。

これは俗に言う“意識が高い”ではないと思っている。“意識が高い”は、どちらかと言うとdisるときに使うものだから。ただ、ただアウトプットする今の若者に感心しているのである。


書き残せる環境
20年前と違いは、圧倒的に何かを書き残せる環境を手に入れることのハードルが下がったことだろう。今なら、スマホでもタブレットでも数回タップすればインターネットにアクセスすることができ、自分が今思ったことや経験したことを即時性を持ってロギングできる。PCを立ち上げて、ダイヤルアップして、繋がらないときは別の番号に掛けて繋いで、お目当てのグループからちまちまダウンロードして、のような世界ではないのである。なんでもパッパ、と出来てしまう。環境を手に入れる対価も下がったことも大きい。20年前にあった“マルチメディアPC”なんて30万したもの。iPadなら6台買えちゃいます。そんな時代と今と。そんな環境が空気のように当たり前な若者達にとって、「幸せだね」と言うのは昭和のオジサン過ぎるのだろうか。


じゃあ何で書き残すの?
これは思いつきだけど、今の一人暮らしって楽だよね。一人で過ごす時間も時間のつぶし方が多彩だ。とりあえずテレビをつけていた20年前とは違って、いまならまず寝ても冷めてもインターネットに繋いで。誰かと会話したいならネットで話すことも出来るし、特定技術でリアルに交流したいなら勉強会やワークショップなどでクラスタに混じってしまえばいいのだ。クラスタは、specific interesting group、つまり分科会のようなものだから、自分が興味を持つ特定の話題のみを話すのでとても耳障りがいい。最近、勉強会に行ったのだけれど、同じようなエリアでの情報の共有や悩みを聴きあうことは、何らかの気づきを得られるから楽しい。一人でも学ぶ環境が得やすくなったし、クラスタで学ぶこともインターネットを介して同じ領域に関心を持つクラスタを得やすくなったから一人の時間も十分“埋められる”ようになったのだ。これは裏を返せば、一人寂しい時間を学ぶことで補完出来るようになったと表現することもできる。その補完した結果をアウトプットとして表現したくなることは、人としての認知されたいという要求であって当然の結果だろう。
あとも一つ。実はこれが本質なのかな〜と。周りにも40代後半や50台でも結構独り者が目立つようになったと思うのは気のせいでもないだろう。その予備軍の30代の独り者はもっと多い。一人暮らしは楽だから手放したくないし、結婚すると不自由だ。でも、人の本能として遺伝子かそれに変わるモノを残しておきたい。生きた証を印すには、インターネットはとてもハードルが低く簡便で残しやすい。そんなちょっとほんとうか?みたいなことがアウトプットし続ける若者の心に内在した本質なのかもしれない、とツラツラ思うのだがやっぱり違うだろうか。





  • 道具室(アプリとか)
  • 音楽室(PCからリンクをクリックするとき、PCにiTunesが入っているとアプリケーションが起動します)
  • 視聴覚室
  • 調達室