ワタシ一人の中だけで悶々としているのは馬鹿みたいなんでもうやめにしました


昨日のブログにも書いたように、“這いよれ! ニャル子さん 11”を読み終えまして。はい。

這いよれ! ニャル子さん 11 (GA文庫)

這いよれ! ニャル子さん 11 (GA文庫)

で書評かと言われればちょっと違います。本の中で暮井珠緒が言っていた台詞にこんなものがありましてね。

「なら、あたしの気持ちもちゃんと知っててほしいかなって。あたし一人の中だけで悶々しているのは馬鹿みたいなんで、もうやめにした。」
代わりに悩んでね”」


そこに辿り着くまでは知らない世界だった
この境地に辿り着くまでに“随分と掛かったなぁ”って。逆に、その境地に辿り着けて随分と楽になったなぁ、と、とても実感しているんですョ。


今振り返れば、そんな考え方が出来てその考えで行動できることがどれだけ自分を楽にするのかなんて、知りもしなかったしそれならあるよってもっと早く教えて欲しいと思ったものです。でも、それは誰からか教えてもらったものではないし、多分、誰でも人に教わるのことでもないんでしょう。


悩みはどこから降ってくる
でも、一体自分がそこまで悶々とする悩みって、どこから来るんだよ、って思ったことないですか。例えば自分自身のスキルの悩みであっても、自分の中から突然沸いてくるのではありません。それは、自分と他の誰かと比較するからその差異に驚いて悩むんです。


そう、自分で作っている。悩みを。自分で悩むことをしているんです。で、何に悩んでいるかって言えば、他所から来たことと自分とのギャップに。


頭の中でグルグルとfor文が廻る
大体、悶々とするときの頭の中って、自分の言葉がグルグルとしていませんか。他所から来た少ない情報だけを頼りに自分の気持ちを感情的に増幅するだけの堂々巡りをしていませんか。ワタシは、まぁ、大体そうです。そのグルグル回るループのfor文を以下に早くbreakして抜け出すかなんだと思っています。でも中々抜け出せないことも随分経験したものです。今だって、たまにfor文にハマってbreakできないときがあったとき、後で何馬鹿やっているんだって自分で自分にあきれるんですけどね。


breakのスイッチを持つのは自分
なら、馬鹿な考えのfor文をブレークするには、“何馬鹿やっているんだ?”って気づくことです。それをいかに自分で見つけられるか。そうしたふるまいができればいいんです。


ただ、それまでに中々辿り着けない。ワタシは辿り着くまでに随分時間が掛かったのです。でも、もう自分でbreakの仕方を知ったし、そもそもワタシ一人が悶々と悩むなんて馬鹿みたいって思うようになったのは私にとって一つのパラダイムシフトでした。


そのパラダイムシフトは、こう教えてくれるんです。「元の持ち主にさっさと返しなさい。」って。だから、ワタシは無茶振りされても一人では抱えずに、その無茶振りを共有するに相応しい人と共有して、共犯になってもらうことにしています。ワタシ一人が悩むんじゃない。誰かに一緒に悩んでもらうのです。