チームに必要なのはルールより原則

もし、チームに心理的安全性や挑戦する文化を根付かせたいなら、ルールは作らない。なぜなら、ルールはチームメンバの行動を制限するからだ。

チームのメンバに能力を十二分に発揮して欲しいなら、発揮してトラブルを起こしても、無意識に助け合える共通の価値観がなければ、誰だってスキルを使うことをセーブしてしまう。やらかして、後始末をするよりは確実にできる範囲でしか能力を行使しなくなるのは当然だ。

メンバの誰かがやらかして、再発防止と言い始め、あれこれやめようと言い始める。中学校で散々慣らされてきているから、禁止するルールを作るのはお手の物だ。

もう、そのチームには心理的安全性はない。心理的安全性の代わりにメンバを縛るルールが鎮座する。誰もがルールに自分の行動があっているかと、照らし合わせるようになる。

ルールは心理的安全性ではない。

メンバの行動を縛る。

心理的安全性を根付かせたいなら、ルールは捨てて原則にする。

原則は、チームのメンバ全員で作り上げる。誰ひとり、欠けてはいけない。原則を作るときにチーム全員が一人ひとり、原則としたい考え、思いを言語化する。

出し合った言語の中から、共通項を絞り込む。原則は幾つでも良いが、少ない方がいい。

その原則でチームのメンバがどう行動するかを迷ったとき、原則に照らして判断できればその原則は有効である。

ルールはメンバの行動を止めさせる方にしか働かない。しかし、原則は、原則にあっているなら、挑戦を選ぶことができる。もちろん、やらない判断にすることもできる。

どちらがいいかは単純である。

チームに原則を導入すると無駄な物を作らなくなる。まず、ルールを作らない。あれは禁止、これも禁止などトラブルを起こす度にルールを作る必要がない。

やろうとしていることを誰かに訊ねても、返ってくる答えは、原則にあっているか、しかない。

チームにルールを作るくらいなら、原則に変えよう。

 

 

チームが機能するとはどういうことか――「学習力」と「実行力」を高める実践アプローチ

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