心理的安全性は求めなくても手に入れられる
ここ数年、心理的安全性について言及されるエントリやカンファレンスでのトーカーを見かけるようになった。御多分に漏れず、当ブログのエントリでも取り上げている(はず)。
『心理的安全性』で検索してみると2件ヒットした。
各方面で心理的安全性を取り上げるのは、裏返しとして心理的安全性を保たれていない現場が多すぎるのではないか、と思うのだがどうなんだろうか。必要だと言われるものは、そこにないから、なのだろう、という理屈である。
ところで、心理的安全性を保持している現場とはどのような現場なのであろうか。
他者の反応に怯えたり羞恥心を感じることなく、自然体の自分を曝け出すことのできる環境や雰囲気のことを指します。
心理的安全性とは?googleが発見したチーム生産性を高める唯一の方法 | BizHint(ビズヒント)- 事業の課題にヒントを届けるビジネスメディア
何も気兼ねなく言いたいことを言える、振る舞える環境とでも表現すれば良いのだろう。逆に言えば、表現者を否定しないということではないだろうか。
ところで、今のチームでは業務をしていればあれこれしたい、これはどう思うかとメンバから相談を持ちかけられる。そうした相談で一度も否定をした記憶がない。
組織内でルールに沿わなければならないようなケースであれば、ルールを確かめた上で進められるならワークフローを申請するように伝える。ルールは自分の裁量でどうにでもなるものではないためである。ルールにないものであれば、主管部門の責任者に裏を取り、フィードバックする。
プロジェクトであれば、方針を合意したあとは、それに沿っているかどうかで判断してもらう。もし、ずれていると判断したらずれているまずい点はどうするかを尋ねる。
本人が気づくけばそれでもいいし、周りが気づけばコメントをつける。急いでやらなければならないときには、急ぐ理由を説明すると納得感を持ってもらいやすい。
こうした現場は参考になるだろうか。
雑談はするし、相談もよく出る。各自の意見を持っていれば聴き終わってからどうするかを話し合う。意見がヒートアップすることもある。意見がぶつかったままでも昼になればランチを一緒に摂る。
わざわざ心理的安全性と言わなくても、メンバは自然のままに思うことをさらけ出せているように自分は受け止めているのだがどうだろう。
何を持ってこうした環境を維持しているのか、である。それはメンバのパフォーマンスを十二分に発揮して欲しいから、ただそれだけなのである。自分のチームにとってこれが普通の状態なのである。
単に、チームの成果を発揮するためにどうしたらいいかそれを考えた結果、こんなチームが出来上がっていたのである。
自分のチームに来ればいいのに。